今日はどんな話をしようか。

羽川くるみの日常。

冬の夕暮れ。

強い日差しの秋から、冷たくて乾いた風の吹く冬になりました。
もう12月。今年もあっという間に過ぎてしまいそうです。

 

先日イベントの通販で入手した作品が手元に届き、心の栄養補給として、好きな作家さんの本を読む一週間でした。

とある事件の代償として、恋人である自分のことに関して記憶が抹消された話とか、
二十四節気にあわせて進むお話の中では、折れたひと振り目の話とその後迎えた二振り目の話が綴られていて、相手を慈しむことには変わりはなく、この気持ちを抱えてより善く生きてゆく、と日常の風景で結ばれた物語など。
いずれも読了後には本を拝むということには変わりありません(あるある)。

 

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話変わって今日の夕方。
日が暮れてきた街を歩いているとき、ヒュッと風が冷たくなる瞬間に感じた寂しさみたいなものが、先の作品を読んだときにも現れていたことを思い出して、そうかあれは「寂しいな」と自分が感じたのかと気持ちにラベルを貼りました。

けれど、これが面白いもので自分の調子によっては、その冷たさが心地良く感じたり、寒いから温かいものでも食べようかと前向きに捉えたりするから人の感情って面白いなとも思ったり。

普段の散歩のような時間で、こんなことを考えているんだなと自分のことながら苦笑いしてしまいます。

喜怒哀楽って、子供時の方が素直にあらわるのかな~と思うのですが、ある程度自我が育つと色んなパターンが見えてくる。

牽牛星中心の私は、とにかく人前で泣けなかった子供。それが家族の前なら尚更で。
ずっとお姉ちゃんで育ってきたし、しっかりしなきゃが根底にある。もう牽牛星だわなー!という。自分一人が泣いたって変わらないし、知ってもらうことも大切なんだけれど、とは今自分が大人になったから分かるわけで、当時は「泣いてちゃいけない」まで思っていたんだから、書いていて心配になる(笑)

大人になってからは少し泣けるようになった。
どちらかというと人前で泣くのは悔し涙の方が多い気もするけれど(笑)、今回のように琴線に触れる作品を読んだり、人と話しているときに感極まってということが増えました。自分だけのことはお風呂場で泣くことが多い。

 

「寂しい」と感じることは、自分の状態一つで変わるなということを再確認できた日でした。