今日はどんな話をしようか。

羽川くるみの日常。

【易ノート】16/64雷地豫(らいちよ)

【16/64】雷地豫(らいちよ)

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※「豫」には、前々から、前もって、かねてから、あらかじめという意味があります。
※象徴としては、地面の上で雷が鳴り響いている様。春雷は縁起が良いとされます。
 その年の春に雷(初雷)が鳴れば、冬眠をしていたものが春の訪れを知り、物事が動き始める新しい出発のときと言えます。

卦辞「豫は侯を建て師を行るに利ろし」
 ことを成す前々から準備をし、順を踏んでいけば大抵のことは支障なく進んで良い結果をえるであろう。良い結果を得る(=悦び楽しむ)ためには何事も準備が必要・・・つまり「備えあれば、福来る」ということにも。

 卦辞にある”師”は戦のこと。雷地豫の唯一の陽爻は4爻で、この戦の諸侯(将)ということになります。先に立つ指導者(4爻)がしっかり予定・計画を立てれば民衆も不安なく付いていく。戦をやるに良いと書かれているのです。

 

 

上爻:溺れるか改心するのか……

爻辞「冥予(めいよ)。成れども喩(かわ)り有れば咎なし。」
⇒悦び楽しむことに耽ってしまって暗闇の中にある。改心し行動も改めれば咎められることは無い。
 「雷地豫」は4爻以外は全て人の恩恵に預かって浸ってしまったり、溺れたりします。上爻は溺れたパターン。
 物事の判別ができないほど溺れてしまった。このまま溺れ死ぬか、目を覚まして改心するかの2択状態です。現状維持は不可というところでしょうか。

 

 

5爻:心は病むが……

爻辞「貞疾(ていしつ)。恒に死せず。」
⇒4爻に好いところを全て持っていかれた君主の身。病んでいるのは心の方です。ですが、この君主は心の中に正しさを持っているので、我慢することは出来ます。4爻がそういう立場で国が上手く治まるのなら仕方ないな、と思えれば自らを亡くさずにすむという状態。

 

 

4爻:疑わずに集えばよいのじゃ

爻辞「由(よ)りて予(たの)しむ。大いに得るあり。疑う勿れ。朋(とも)盍(あい)簪(あつま)る」
⇒皆が集まって悦び楽しむ。大いに志を行える。疑ってはいけない、同志も集まり助け合えるであろうという意味です。
 4爻こそが中心となって悦び楽しむ世を作る存在である。君主でもないのに、そのようなことでは、妬みや僻み、君主を凌ぐのではないかと自らが疑われてしまうのでは?と思ってしまう。そんな疑いは捨ておきなさいと。そうすれば同志が集い助け合えますよと説かれています。

 

 

3爻:後悔先に立たず

爻辞「盰(みあげ)て予(たの)しむ。悔ゆること遅ければ悔いあらん。」
⇒人の恩恵にて悦び楽しむ。いつまでも改心しなければ後悔することになる。
 初爻と同じように、自分には力がないため4爻の恩恵に預かって悦び楽しんでいます。しかしそれは本来正しくない事なので悔い改めないと後悔が残ると説かれています。
 「悔ゆる」は悔い改め、「悔いあらん」は後悔先に立たず

 

 

2爻:気持ちを切り替える

爻辞「石に介(かい)す。日を終えず、貞吉。」
⇒石のように固く自分の道を守っている。悦び楽しむことにも、素早く気持ちを切り替え、それに溺れないようにできる。

 

 

初爻:人のおかげで

爻辞「鳴予(めいよ)、凶」
⇒人の恩恵により悦び楽しむ。凶である。
 雷地豫で唯一の陽爻である4爻が「準備を怠らない、皆を率いる良き指導者」なのですが、そのおかげで悦び楽しむことが出来ている状態。自力では適えられないからとしてそれに甘んじているのは良いことではないし、永くは続かないと説かれる。

 

 

序卦伝:

 大を有して能く謙なれば必ず豫(よろこ)ぶ。故にこれを受くるに豫(よ)をもってす。

 

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