今日はどんな話をしようか。

羽川くるみの日常。

【感想】東洋占術夏祭りDAY①

こんにちは、こんばんは。

羽川くるみです。

 

2019年8月12日

立秋も過ぎたというのに、まだまだ真夏日だった新宿。

通い慣れた会議室で行われましたのは、

#ウラナイ8 主催の東洋占術夏祭りDAYです。

①天海玉紀先生「陰陽の不思議な世界」

翡翠輝子先生「東洋占術で自己表現WS」

③甘夏   弦先生 「なっちゃんの夏休み研究発表」

の3部構成でした。

いくつかの投稿に分けてお届けいたします。

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[第1部]

天海玉紀先生「陰陽の不思議な世界」

荘子の『混沌−混沌死せり−』の朗読からスタート。

−−−

登場するのは、

南海の帝・儵−シュク−

北海の帝・忽−コツ−

中央の帝・渾沌。

ある日のこと。

訪ねてきた儵と忽を快く迎え入れた渾沌。

その手厚いもてなしのお礼にと、2人はあることを思いつきます。

人間にある7つの穴を毎日ひとつ、渾沌にあけることにしました。

(7つの穴によって人間は感覚を持ち、食べ、息をすることができるとされた)そして最後の穴をあけた7日目に、なんと渾沌は死んでしまいました。

−−−

というお話でした。

話の内容のメモも取りたいし、でも語り口調にグイグイ引き込まれる。

どんな意味があるのだろうという講義の冒頭でした。

 

神話(世界)の始まりは「何もない渾沌−カオス−の状態に区別をつけるところから」という話ですね、と玉紀先生。

それから「天地開闢−てんちかいびゃく−」と中国の神話、

また、陰陽の例として明暗・月と太陽というテーマで描かれた民話も紹介されました。

 これを聞いているうちに、陰陽とは「最初に区切りをつけた状態」を表しているのかなと思いました。

けれど、1つを2つに区別しただけなので本来の「ひとつであること」には変わりがない。

 講義でも、絶対に陰とか絶対に陽で完全に分けることはできない、その時の場面場面で変わるものだと話されていました。

 

中医学では陰陽学説といって必ず対で考えるそうです。

後方に記録係でいらした白鳥ともみ先生も同じことを話されて、

五臓六腑も対になっているひとつと挙げていました。

 

そして陰陽の占術ということで易に付いても触れ、十二消息卦についての考え方が紹介されました。

・易は最後未完で終わる

・偶然は頭の中から考え出すことはできない

(易については、ずっと面白そうだな〜と思っているのですが今これ以上広げられないと思っている占術の一つです)

 

そして玉紀先生の実体験からは、

「ふたつよいこと さてないものよ」

 →ひとつ良ければひとつ悪い。

今の状態がずっと続くわけではない。

   (河合隼雄著『心の処方箋』より)

 という言葉も。

 

一部の講義で思ったことは、

全てのことには表と裏があり、両方合わせてひとつ。

片方だけ見ても足らないし、もう片方も見ないと本質を見たとは言えないのだなということです。

2つの区別をつけた、この単純とも思えるような構造の中は、思った以上に奥が深いものだなと思いました。

 

 

【感想】東洋占術夏祭りDAY② へ続きます。